『女王蜂』

映画

2022-02-09

1978年の東宝制作。監督は市川崑。金田一耕助は石坂浩二。他に中井貴恵、岸恵子、仲代達矢、高峰三枝子、加藤武など。

有名な映画で、ネット上でもいろいろ言及されてますが、古谷一行のテレビシリーズの「女王蜂」と比較すると、最も違いがあるのはヒロインである智子の配役だと思う。映画は中井貴恵、テレビは片平なぎさですね。

映画の智子役の中井貴恵は、片平なぎさに比べると影が薄い。実際映画でもあまり出てこないし、表情も乏しい。

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茶会のシーンでも祖母の東小路隆子(高峰三枝子)がわざわざ近づいてきて「あなた、智子さんね。伊豆でお会いしましたね」と声をかけるのに、智子役の中井貴恵はまったく無表情。驚くわけでもなければ笑顔になるわけでもない。

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茶会で茜崎(中島久之)から茶筅を手渡されたときもニコリともせず、その青酸カリの付着した茶筅で茜崎は毒殺されてしまうのだが、ここらへんの演出は市川監督は手を抜いているのだか、あえて無表情な役にしたのか。でもこれじゃ一体どこが「女王蜂」なんだと思いますね。

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テレビの智子役の片平なぎささんだと、もうドラマの中心。しょっちゅう顔がドアップになるし、智子の身近な男たちが次々と智子に夢中になり、そして殺されていく。そこらへんがいかにも「女王蜂」だと思うのだが、映画の中井貴恵にそういうオーラはないので、「智子は女王蜂である」と脅迫状に書かれていても、いまいちピンとこない。求婚者の遊佐や茜崎たちも単に大道寺家の財産目当てじゃないの?と思ってしまう。

映画版の中心はやはり石坂浩二演ずる金田一耕助で、最初に常田富士男と水たまりにはまるシーンからして、徹頭徹尾金田一に焦点を当てている。それはそれでおもしろいのだけど、その分「女王蜂」である中井貴恵はかすんじゃってますね。

ただ、月琴島の設定を伊豆山中の「月琴の里」に移して、さらに次の事件の舞台を東京ではなく京都にし、季節も秋から初冬にしたのはよかったと思う。紅葉の映像美がすばらしいし、東小路家の茶会のシーンも華麗で、抹茶の緑色と茜崎の吐く血の赤色とのコントラストも鮮やかですね。

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映画の冒頭で速水銀造(のちの大道寺銀造。仲代達矢)と日下部仁志(東小路仁志。佐々木勝彦)が伊豆の山道を歩くシーンも紅葉で、旧制三高の歌を歌いながら歩いていく。その後を飛鳥時代のような古風な着物を着た大道寺琴絵(萩尾みどり)が静かについていくのだが、こういう演出もいいですね。市川監督の徹底した美意識がここにもよく表れていると思う。

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やっぱり名作だなあと思いますが、テレビ版と比較するとまた新たな発見があるというか。原作ともう一度照らし合わせてもまたおもしろいと思います。