『皇帝のいない八月』

映画

2024-02-23

1978年の松竹映画。監督は社会派の巨匠・山本薩夫。原作は作家で元TBSの小林久三。脚本は山本のほか、山田信夫、渋谷正行。音楽は佐藤勝。キャストは渡瀬恒彦、吉永小百合、山本圭、佐分利信、滝沢修、高橋悦史、太地喜和子、風間杜夫、永島敏行、橋本功、山崎努、渥美清、岡田嘉子等。

高校生ぐらいのときはじめて深夜放送で見たときは「なんて暗い映画だ…」と思って、それからしばらくほとんど忘れていたのだけど、また思い出してツタヤで借りてきて見てみた。一部でカルト的なファンがいる映画だとか。どこがそんなにおもしろいのか。

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やっぱりクーデター、それも自衛隊という実在の日本の公式武力集団がそれを起こすという大胆な設定でしょうね。二・二六事件のような過去の歴史ではなく未来の話だからなおさら刺激的というか。今ならどこの映画会社もテレビ局もビビッて手が出せない脚本でしょう。70年代の日本にはある意味活力がありましたね。

でも、当時から山本薩夫は右翼の攻撃を危惧していたそうで、実際試写会では右翼らしき男がアタッシュケースの上か何かに日の丸の旗を載せて最前列に座っていたとか。浅沼事件みたいにコイツが飛び掛かってくるのかな?と思ったそうなのだが、山本監督は壇上で自衛隊によるクーデターの危険性を説いたという。

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山本自身、この映画の成否は「日本におけるクーデターの可能性」を観客にどれだけ現実味をもって伝えることができるかにかかっていると述べている。はたしてそれはできたのか…ですが、その点は公開当時から賛否があったようで、おおむね左派陣営は肯定的、右派は否定的という、まあ予測できる反応だったらしい。

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この映画を見て、自衛隊がクーデターを起こすと思うかどうか。しかし一定数の人がその可能性を感じ取れば、映画としては成功だと言えると思う。その意味では山本薩夫の意図は実現されたのだと思いますね。

政治的な話はさておき、この「皇帝のいない八月」、映画としての出来は良くない。骨太の山本監督作品らしくない、中途半端な映画になってしまっている。

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一番の問題は話を詰め込みすぎたことで、藤崎と杏子の愛を軸に、杏子のかつての婚約者の石森の生真面目さ、杏子の父・江見の娘への愛情、佐橋総理と大畑剛三の権力闘争、藤崎隊の結束、藤崎と東上との友情、利倉室長の冷酷さと有能さ、それに加えて嵯峨善兵衛と神田隆のいつもながらの悪役ぶり、泉じゅんの今どきの若者のお気楽さ、渥美清と岡田嘉子の他愛のない会話まで、めっちゃくちゃにストーリーを膨らませてしまって、収拾がつかなくなっている。

それでも細かい所を見るとさすがと思わせるところもいろいろあって、押収した車の天井に隠されたクーデター計画書を見つけるところとか、コンピューター満載の内閣情報室なんか、映画に何とかリアリティーを持たせようとした苦心の跡が垣間見える。

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実際にはこんな調査室などないんでしょうが、ちょっとだけ007みたいな雰囲気。あれなんかもっと荒唐無稽ですからね。それに比べればマシかなと。

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藤崎と部下たち。モデルは三島由紀夫と楯の会ですが、はたしてこんなにカッコいいものかと。

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山本監督は「戦場映画」と「戦争映画」は区別すべきだという。「戦場映画」は家族や国を守る英雄をカッコよく描けばいいのだが、「戦争映画」は戦争を赤裸々に描く。その意味では「皇帝のいない八月」はやはり戦争映画で、クーデター部隊が鎮圧されて血まみれの蜂の巣になるシーンなどは、(血のりはちゃち臭かったですが)これがリアルな姿なんだろうなと。今でもミャンマーやウクライナでやってることですね。

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大演説をぶって自分でも訳が分からなくなって、杏子に「あなたは狂っているわ」とたしなめられる藤崎。それで自分でもバカバカしくなって、ほとんどただの不良という感じの表情になってしまう。もっとも原作ではもっと冷たく杏子につき離されるのですが。夢を見過ぎの亭主にウンザリという役どころだが、吉永小百合だとそういう嫌味がない。長年にわたって何かと得をしている大女優です。

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この杏子というキャラクターはこの映画の中でも特にわからない。あくまで小市民的な幸福を求めているだけの善良な女性のように描かれているが、映画ではとにかく吉永小百合を出演させることが第一で、吉永にやらせるなら純愛かな…てな感じで造形されたんでしょうか。

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山本監督がもっとも描きたかったはずの「影の部隊」。国民には極秘で創設したハイジャック鎮圧用の特殊部隊なのだが、その実態は…という風につなげたかったのに、登場するのが映画も終盤で、話が尻切れトンボに終わってしまっている。

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タイトルの「皇帝」とは、小林久三によればヒトラーのことだという。私は天皇のことだと思っていましたが。確かに原作の元のタイトルは「鉤十字の葬送」でした。では「ヒトラー」とは、このクーデター劇では一体誰のことなのか。そして「皇帝のいない八月」とは何のことなのか。それは原作を読むと何となくわかるのだが、映画ではストーリーが変わってしまって、タイトルに意味がなくなっている。ここまで来るとほとんど謎解きのレベルですが。

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小林久三は、映画の最後に歩行者天国の人々を持ってくるのは「さすがだ」と山本監督を褒めているけど、その意味は何なんでしょうか。「みんな何の憂いもなく今の日本の平和を謳歌しているけど、見えないところで平和は脅かされている…」てなことなのかな。その「見えないところ」を明らかにするのが世の社会科学者なのだろうが、今の時代にそんなことができる人はほとんどいないようですね。

この映画を単なるミリタリー映画として楽しむというのもありかもしれませんが、共産党員の山本薩夫と、やはり左寄りの作家・小林久三がそんな映画をつくるわけがない。もう公開されて半世紀近くたつけど、この映画の真価は未だに定まっていないように思います。

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