『八つ墓村』

映画

2022-02-25

1977年松竹。監督は野村芳太郎、出演は萩原健一、小川真由美、山本陽子、山崎努、夏八木勲、花沢徳衛、渥美清ほか。横溝映画の最高傑作ではないでしょうか。

ウィキペディアなどにも紹介があるのでもはや多言を要しないが、原作では「祟りに見せかけた連続殺人」というトリックを「本当の祟りによる連続殺人」に置き換え、本格推理として構想された小説をオカルトホラーの推理サスペンスにしてしまっている。70年代のオカルトブームに乗る形で大ヒットしたが、こういう脚色がどこまで許容されるのか、結果オーライの映画でしょうね。

野村芳太郎は結構原作から変えてしまうところがあって、松本清張の『疑惑』や大岡昇平の『事件』もかなり変えてしまっているが、『疑惑』は原作よりおもしろく仕上がっているけれど、『事件』は失敗だったと思う。『事件』は姉妹と青年の三角関係にしてしまったので、原作のテーマがどこかに飛んで行ってしまいましたね。

その点で言うとこの『八つ墓村』でも、横溝が戦後本格推理を志向して書いた連続殺人ものを、怨念と怪奇の渦巻く暗黒のような村の惨劇にしてしまっているので、推理色はほとんどなくなっている。

象徴的なのが、映画の最後の方で、洞窟の入り口に集まった村人たちに、金田一耕助(渥美清)が犯人を教えるシーンで、村の駐在の新井巡査(下条アトム)が「動機とか方法はよくわかったんですけど、物的証拠とかはあるんでしょうか?」と訊く。ところが金田一は「証拠とか、そういうのより、何というのかなあ…これは犯人も知らない、実に不思議な事実が隠されているんですよ」と話し出してはぐらかしてしまう。

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金田一耕助は西日本の各地を回り、尼子一族の怨念と犯人とのつながりを調べていた。京都や滋賀、和歌山の場面が出てくるのがそれで、この一連のシーンにより映画は「祟りによる惨劇」へと置き換わる。早い話が証拠なぞどうでもよくなったわけで、超自然的な「祟り」による殺人においては、証拠もへったくりもないのである。

普通はこんなことをやるとメチャクチャな改変で原作を台無しにしてしまうのだが、この『八つ墓村』、オカルトホラーとロマンティシズムの映画と割り切ればとてもおもしろくできている。どぎつい惨劇シーンと背筋の凍るような音楽の連続で、夏の恐怖映画としては、当時は最高の出来だったでしょうね。

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芥川也寸志さんが一シーンずつつくったというこのおどろおどろしい音楽。当時は場面ごとに音楽を合わせてつくるというようなことはなかったらしく、芥川さんが「場面ごとにつくりたい」と言うと、野村監督はビックリしたという。芥川さんは父の芥川龍之介も怪奇マニアとして有名だったが、息子の也寸志さんも怪奇映画とあって張り切ったのではないでしょうか。

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さて物語は、東京で空港に勤める寺田辰弥(萩原健一)が、大阪のとある法律事務所に呼ばれることから始まる。辰弥は岡山のさる旧家の跡取りだというのだが、辰弥を探しに来た祖父の丑松老人(加藤嘉)が突然苦しみ出し、黄色い血を吐いて悶絶してしまう。のっけからすさまじい展開を見せる『八つ墓村』なのである。

丑松の代わりに辰弥の伯父である井川勘治(井川比佐志)と、親戚筋の森家から来たという美也子(小川真由美)が辰弥を迎えに現れる。彼らとともに辰弥は祖父の遺骨を胸に岡山の通称「八つ墓村」へと芸備本線を乗り継ぎ、高級車に乗って中国山地の山奥へと分け入っていくのだが、なんだかこの美也子という女性、これまた謎の美女で、八つ墓村を見下ろしながら不思議なことを言う。

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不気味な八つ墓村。こんなところに行ってみたいとわざわざ原作者の横溝正史に電話をかけた女子中学生がいるというのだから呆れた話である。

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多治見家の大邸宅に着くと、そこにはこれまた不気味な双子の老婆が待っていた。多治見小竹(市原悦子)と小梅(山口仁奈子)で、辰弥には大叔母に当たる人物だという。辰弥は先代の要蔵が村の鶴子(中野良子)に産ませた子で、腹違いの兄に当たる多治見久弥(山崎努)は死の床についているというのだが…

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この山口仁奈子という方はあまりよく知りませんが、市原悦子さんに似ているということで起用されたんでしょうか。

辰弥は美也子から、八つ墓村というまがまがしい名の由来となった四百年前の落ち武者惨殺事件を聞かされる。それ以来、この村、特に惨殺事件の首謀者であった多治見家には、代々落ち武者たちの祟りがあるのだという。CGなんかもちろん使ってませんが、手作りの怖さというのが存分に出ていて、人間の想像力に訴える方がかえって恐ろしい場面を再現できると思う。

惨殺だなんだと、ここまで聞いたらこんな辺鄙で排他的な村、嫌になって帰りたくなるでしょうね。辰弥も丑松の葬式が済んだらさっさと東京へ帰ろうと思っているのだが、次から次へと殺人事件が起こって帰るに帰れなくなってしまう。

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極め付きが多治見要蔵(山崎努)の三十二人殺し。鶴子が辰弥とともに行方をくらまし、気が狂った要蔵は村人たちを三十二人も惨殺し、山に逃げ込んでしまう。ここの惨劇シーンと音楽がまたすごくて、この映画のクライマックスですね。

顔を真っ白に塗った要蔵がロボットみたいに村人を殺していく。最初の方で殺される村人役の丹古母鬼馬二さんの悲鳴がこれまた恐怖を高めていて、ここらへんも野村監督の徹底した演出ですね。全体でわずか3分ぐらいの殺戮シーンだけど、心臓の弱い人はマジで見ない方がいいでしょう。

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ほとほと八つ墓村と多治見家が嫌になった辰弥は断固帰京しようと多治見家を飛び出すが、金田一耕助から思いもよらぬ話を聞かされ、村にとどまることにする。姉に当たる春代(山本陽子)は他にも何か知っていそうな雰囲気なのだが…

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という感じで全編恐怖とミステリーの連続なのだが、コメディリリーフの新井巡査が滑稽でバカを演じていて、パフェのウェハースのような役割を果たしている。こういうところも野村監督はうまいですね。それとも橋本忍の脚本によるものか。

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洞窟のシーンもかなり多いが、日本全国を1年以上かけてロケハンティングした景色をつなぎ合わせたという。予告編で見られる監督のコンテもすごいもので、野村監督のイメージを実現するためにものすごい手間暇をかけたのだと感心する。当時の日本映画は本当にパワーがありました。

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そして最後、尼子義孝の祟りはついに成就するのだが、似たような話が中岡俊哉の怪奇本にも載っていて、横溝はこれも参考にしたのでは…と勝手に考えたりしている。機会があればまた調べてみたいのですが。

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全体から見れば得手勝手な村人とその子孫が因果応報で報いを受ける、というシンプルな話なのだが、最後に辰弥はようやく東京に帰り、元の仕事に精を出す。橋本忍さんは最後はこういう終わり方にしたかったそうなのだが、それが何を意味するのか、なぜ原作とは違う結末にしたのか、これもいろいろ興味深いところですね。

とにかくまあ、これをしのぐ横溝映画はもう現れないと思います。横溝正史と言えば「八つ墓村」。それの「祟りじゃあ~」で、すぐれた映画の持つ影響力のすさまじさを見せつけた作品でもありました。