江戸川乱歩『黒蜥蜴』

2022-02-26

創元推理文庫で江戸川乱歩の長編『黒蜥蜴』を読んでみる。なかなかおもしろかったですが、意外に天知茂の「悪魔のような美女」は原作通りでした。

明智小五郎と黒蜥蜴・緑川夫人の対決を描いたいわゆる「変格もの」だが、乱歩のすり替えトリックがなかなか冴え渡っていて痛快でした。すり替わりとか一人二役とかいうのは推理トリックの王道なのだなと。これだといろんなバリエーションがつくれるなと思う。

「変格もの」というのは、一般大衆にわかりやすく、娯楽に重きを置いた作品のことでしょうか。でもこの「黒蜥蜴」もなかなか凝ったトリックをいろいろ駆使していて、決してありえないようなトリックでもない。三億円事件でも警官に化けて奪い取るというもので、乱歩のトリックも現実にも応用可能ではないでしょうか。

ただ、この「黒蜥蜴」は特にそうだけれど、明智にしろ緑川夫人にしろ超人的な探偵・怪盗として描かれていて、二人の人間味とか人間としての現実感というのはほとんどないですね。そういう点は横溝正史とは対照的で、金田一耕助はありふれたどこにでもいそうなキャラクターだけど、明智小五郎や黒蜥蜴はまさしくドラマの天知茂や小川真由美という感じで、とても現実離れしている。

第一、緑川夫人がもともとどういう人物なのかまったく書かれていない。女性だけれどときどき「僕」という一人称を使ったりする男性的なキャラクターだが、絶世の美女で抜群の肢体の持ち主、稀代の怪盗という以外何もわからない。緑川という名が本名なのか、どこで育ったのか、家族は何人、血液型は…なんてことは一切書いてないんだな。変格ものではそんな個人的なことはどうでもよかったのかな。

だから、なぜ黒蜥蜴こと緑川夫人が執拗に岩瀬早苗を狙ったのか、人間を剥製にして美術館に飾っているのか、そういう動機が明らかにならない。江戸川乱歩においては動機とか事件の背景とかはあまり関心がなかったようで、それよりトリック、論理、推理なんでしょうね。

文庫版の解説でも少し触れているが、乱歩の文体は少し稚拙なところがある。わかりやすいともいえるが、いかにも大衆向けという感じの砕けた文章で、講談みたいにいちいち読者の注意を促すような文を挿入しているから、ちょっとくどいと感じるときもある。これは同時代の野村胡堂の「銭形平次捕物控」でもそうですが、当時は高等教育がまだまだ一般的ではなかったので、大衆向けにわかりやすい文章が求められたんでしょう。

おもしろかったけど、やはり戦前の変格もので、美女を裸にして剥製にしようとするとかいう変態的な要素を除けば、戦後の少年探偵団シリーズと同じだと思う。今で言うとライトノベルなんかがこの系統なのでしょうか。