横溝正史『殺人鬼』

2022-02-28

1947年(昭和22年)に発表された金田一ものの中編で、『獄門島』の連載の合間に書かれたもの。金田一耕助が登場する作品としては5作目に当たるのだろうか。

推理作家の八代という人物が語り手になっているが、これは『夜歩く』の語り手、屋代寅太を思わせる。語り手が何らかの形で犯行に加わるという点も同じで、『夜歩く』の下敷きになった作品という気もする。

『殺人鬼』の連載は雑誌「りべらる」1948年2月号までだが、『夜歩く』は雑誌「男女」(のち「大衆小説界」)の1948年2月号からなので、ほぼ入れ替わりになっている。

〈以下ネタバレあり〉

トリックの発想も、犯人と思われる人物が実はすでに死亡しており、真犯人が変装して第三者に目撃させるという点は同じ。ただ、犯人の一人である梅子は、私立学校のやり手の理事長という設定で、これは『死仮面』と同じですね。

最後の最後で八代が加奈子と逃亡し、おかしな手記をつけているのはいかにも蛇足で、そもそもこの八代という男、殺人鬼の話を初対面の加奈子に聞かせたりとおかしな奴で、食うために文筆の才を使ってるとか、一応人妻である加奈子の美貌におぼれたりと、ロクでもない男である。どうもそこらへんでこの作品の魅力がそがれている気がする。

連載された「りべらる」は割と有名な雑誌で、カストリ雑誌の代表とされる。戦争直後に創刊され、どぎつくて泥臭い表紙と扇情的な内容が特徴の大衆雑誌。しかし作家たちには背に腹を代えられなかったようで、武者小路実篤とか亀井勝一郎のような教養主義の権化のような作家たちも一時期この雑誌に連載していた。

表紙を見てもコテコテに化粧したやたらとグラマラスな女のお色気丸出しの絵ばっかりで、載ってる小説も夫婦の性生活がどうたらこうたらというスケベな話ばっかり。挿絵も泥臭くて、まあ低俗な代物。

『殺人鬼』の加奈子もこういう低俗なキャラクターで、欲どうしくて男たちを手玉に取り、金のためなら人殺しも平気という女である。亭主の賀川も同様で、賀川にとって代わる八代も同類。

実際当時は非常に治安が悪く、金目当ての凶悪犯罪が頻発していた。八代が加奈子について行ってやるのも一つにはそのためで、この作品にも当時の社会状況や連載された雑誌の性格が大きく影響しているわけですね。

金田一以外の登場人物はいずれも魅力が乏しくて、構成にも難があるが、すり替わりトリックはなかなかよくできていて、本格推理のおもしろさは十分ある。金田一耕助が警察関係者に頼んで加奈子たちを驚かせるのもなかなか痛快でした。