G.K.チェスタトン『ブラウン神父の不信』

2022-03-17

イギリスの推理作家ギルバート・キース・チェスタトンの「ブラウン神父シリーズ」から1926年に刊行された短編集『ブラウン神父の不信』。創元推理文庫版は中村保男氏の訳で、解説は法月倫太郎だったと思います。

最近は何でもウィキに解説があるなあ~だけど、収録された短編は、

1.ブラウン神父の復活
2.天の矢
3.犬のお告げ
4.ムーン・クレサントの奇跡
5.金の十字架の呪い
6.翼ある剣
7.ダーナウェイ家の呪い
8.ギデオン・ワイズの亡霊

細かいストーリーもウィキに譲るとして、久しぶりにブラウン神父ものを読んだのだけれど、まず思ったのが「チェスタトンの文章ってこんなにギッシリ詰め込まれてたかな?」でした。でも欧米の作家は概して日本の作家に比べて文章の密度が濃いですが。

トリックの奇抜さ、巧みさという点では、個人的に一番おもしろかったのは「金の十字架の呪い」でした。「そうだったのか!」の一言。思わぬ人物が犯人でまったく度肝を抜かれました。

反対に一番ひどいなあと思ったのが「犬のお告げ」。これはないよという結末で、こんなんで密室殺人といえるのか。位置関係とかいろいろ突っ込みたくなる内容です。「翼ある剣」もどうなのかなあ?という感じでした。

まあまあおもしろかったのは「ムーン・クレサントの奇跡」「天の矢」「ダーナウェイ家の呪い」でした。

「ムーン・クレサントの奇跡」は、ルパン三世partⅡの「スケートボード殺人事件」でも同じトリックが使われていたが、法月氏の解説では、推理小説のネタ本にはよく引用されていたトリックなのだとか。日本語だと「三日月ビル」とでも言えそうなビルの各階の位置関係と登場人物から割とすぐにわかるトリックだが(それだけ子供向けということか)、ストーリーの神秘的な雰囲気でうまく推理小説に仕立て上げているという感じがする。

「天の矢」もすぐわかりますが、要は発想の転換が大事ということか。「既成の概念にとらわれていると、かえって奇跡だの魔法だのを信じ込んでしまう」ということなのか。

「ダーナウェイ家の呪い」もそうで、真相がわかれば実は呪いでも何でもない。チェスタトンが言いたいのはまさにこのことで、小賢しい理屈に捉われていると、怪しい新興宗教や似非科学に簡単に騙されてしまう。

表題作の「ブラウン神父の不信」からしてもそうで、この短編集はブラウン神父シリーズの中でも特にお説教臭い。正しい信仰を持たないとかえって迷信に惑わされてしまい、呪いだ復活だなどと馬鹿げたことを考えてしまうのだ、ということなのでしょうか。

どうもチェスタトンにとっては推理小説は単なる知的ゲームではなく、一見不可思議に見える現象にいかに理性的に挑むべきなのか、その心得を説くためのツールだったという気がする。科学万能主義も心霊主義も排して、自分の頭でいかに考えるか、ということなのかな。

そういう点では、20世紀初頭のイギリスの思想を考えるいい素材にはなるのだろうが、推理小説として見ると、やはりお説教が多すぎる気がする。トリックの多くはなお冴えているけれど、チェスタトンもおじさんになってくどくなってきたのかなあ~という感じですね。