鮎川哲也『崩れた偽装』

2022-04-05

以前よく読んでいた鮎川哲也の作品から、一番最近に読んだもの。内容的には短編集『アリバイ作り』とほぼ同じで、アリバイトリックが中心になっている。

鮎川哲也の推理小説はいずれも徹底した本格推理で、どの作品も奇抜なトリックを凝らしているのだが、読んでいるときはものすごくおもしろいとワクワクして読んでいくのだけれど、読み終わるとたいてい内容を忘れてしまう。これはなぜなのか?

動機とか登場人物とか、事件の舞台なんかはいずれも似たり寄ったりなので、一つ一つの作品の印象が薄くなるのだろう。それに鮎川のトリックはなかなか複雑なものが多いので、頭に入りきらないんですよね。

それで私なぞは、読み終わって「なるほどそうか!」と納得すると、どんな話だったかなんてきれいさっぱり忘れてしまう。数学の問題でも、考えているときはどんな問題か憶えているのだが、次の問題に行くと前の問題なんか忘れてしまうのと同じだと思うのだが、人にもよりけりかな。

この短編集『崩れた偽装』も、読後感は大満足なのだが、一つ一つがどんな話だったかと言うとあまりよく憶えていない。小説を読むというよりパズルを解く楽しみに近いが、その中で比較的印象に残ったのが「囁く唇」だった。

〈以下、ネタバレあり〉

この話も、殺したい女のバッグを口実をつくって奪い、列車の網棚に置いておいて、国鉄の従業員に発見させ、あたかも被害者が列車に乗って行って、実際とは別の駅で降りたように見せかける、という複雑なトリック。

犯人は被害者をなだめるふりをして別のバッグと口紅を買い与えるのだが、この口紅には実は秘密があった…で、そこから足がついてしまう。

被害者がバッグに入れていた口紅は、外装の筒だけ高級品で、中身は安物だった。だから口紅の色が本物の高級品とは微妙に違うオレンジ色なのだが、犯人は男なので、その違いに気づかなかった。

被害者の親友の女性は、遺体を見るとすぐにその違いに気づき、犯人を突き止めると、一計を案じて犯人を警察に逮捕させる、というストーリー。

ここまでやるかという複雑なトリックだったが、口紅というのが何となく小道具としておもしろかった。やはり男性にはなかなか気づきにくい視点だと思う。

鮎川哲也の推理小説は、確かに時代は古くなったけれど、論理の鮮やかさという点では、これこそ本格の王道だと思う。この『崩れた偽装』も短編で読みやすいし、何より「鮎川を読まずして日本の本格を語るなかれ」と思います。