横溝正史『迷路の花嫁』

2022-04-10

これは本格推理と言えるのか…

巻末の中島河太郎の解説でも「本格推理とは言えないかもしれない」と書いているが、金田一耕助は登場するものの、推理らしい推理はほとんど展開されていない。主人公は松原浩三であり、浩三を中心とした復讐劇・サスペンスヒーローものという感じですね。

読後感は、かろうじて「まあまあ」というところ。分量の3分の1ぐらいが浩三と奈津女(夏子)との恋愛ストーリーで、細やかな感情描写と風景の叙述が多い。また決定的な役割を演ずる瑞枝の心理的葛藤の叙述もかなりある。中ほどからは谷崎潤一郎の小説を読んでいるような気がした。

〈ストーリー〉

小説家の松原浩三は、深夜、東京の街中である若い女性が歩いてくるのを目にする。しかし女性は浩三に気付くと、踵を返していずこかの路地へ逃げ込んでしまう。後には女性のものと思しき血染めのハンカチが残されていた。

ハンカチを拾った浩三は、その近くの家の前で、足の不自由な千代吉とその息子の蝶太がたたずんでいるのを発見する。千代吉は、家の中から「人殺し!助けてえ!」という叫び声が聞こえたが、入っていいものか迷っていたという。浩三と千代吉は通りがかった巡査に事情を説明し、彼らが家の中へ入ってみると、家の居間には全裸の女性が血まみれになって息絶えており、死体の上には無数の猫たちが死体の生き血を吸うように群がっていた。

女は宇賀神薬子といい、評判の霊媒師だった。同居人の女中は行方不明で、弟子の宇賀神奈津女、書生の河村は家を空けていた。警察は、戻ってきた奈津女と河村に事情を聞くが、二人は薬子から「今夜は家を空けるように」と言われて他所へ行っていたのだった。

奈津女から詳しい事情を聞いた警察の等々力警部らは、薬子の師匠という、占い師の建部多門にも話を聞く。多門は見るからに胡散臭い品性下劣な男だったが、事件との関わりは判然としない。

一方、薬子のパトロンとされる老舗呉服店の主・滝川の娘である恭子の結婚式が催される。警察は恭子が犯行現場にいたことをつかみ、結婚式当日に恭子から事情を聞こうと式場まで出向いてきた。恭子は警察の姿を認めると、婚約者の植村欣次郎に破談を告げ、植村の前から姿を消す。

薬子の殺害された家の垣根からは、奈津女の血染めのハンカチが発見される。警察は松原浩三を問いただすが、浩三は追及をかわし、千代吉、ついで奈津女と接触する。その後を金田一耕助も追っていた。

多門は奈津女や内弟子の瑞枝、旅館経営者のおしげ、その他多くの女性たちと肉体関係を結び、彼女らを意のままに操っていた。しかし浩三と奈津女は結ばれ、奈津女は建部多門の前から姿を消す。

やがて多門は、何者かが自分を陥れようとしていることに勘づく。巨額の資産を持つ松原浩三は、奈津女に高価な衣服や宝石を買い与え、おしげの恋人・岩崎の借金も肩代わりしてやり、瑞枝にも多門の元から離れるよう示唆する。

ある夜、建部多門の隣家から火事が起こり、火は多門の家にも燃え移る。瑞枝との情事の後で素裸だった多門はうろたえ、瑞枝に秘密の部屋から手提げ金庫を持ち出すよう命ずる。しかし金庫を持ち出した瑞枝は、多門の声を後ろに家を飛び出し、千代吉の元へ身を寄せる。

〈ネタバレ・感想〉

推理とはあまり関係のない恋愛話や、建部多門に翻弄された女たちの身の上話が延々と続いて、中盤以降はちょっとダレました。

薬子殺しの犯人は、恭子が隠し持っていた凶器のナイフについていた指紋から判明する。しかし消去法で行っても、犯行当時滝川にはアリバイがあったので、犯人は多門と千代吉、松原浩三のうちの誰かである。

金田一耕助はもちろん真犯人には気づいていたが、その推理の過程はほとんど説明されておらず、本作はやはり本格推理とは言えない。また、薬子がなぜ全身血まみれだったかの説明もまったくご都合主義的で、猫たちは無関係。被害者の異常性格で片づけてしまっており、女中殺しも同様である。

最初読んでいて、売れない小説家として松原浩三が出てきたので、これは『夜歩く』とか『殺人鬼』と同じパターンかと思ったのだけど、浩三は資産家の令息で、自分でも資産運用に長けていて大金持ちだという。浩三はその金を使って建部多門を追い詰めていくのだが、多門はたいして利口な人間ではなく、単に卑劣であくどいだけなので、それほどハラハラするというストーリーでもない。

この建部多門という卑劣漢、『女王蜂』の九十九竜馬とそっくりで、肉体的魅力で女たちを篭絡して金を吸い取るという自称霊能者だが、『女怪』に出てきた跡部通泰もよく似た悪者である。横溝正史は霊感とか霊能を売りにしている詐欺師が心底嫌いだったようだ。

浩三や千代吉、瑞枝たちとみんないい人達だなあ…と感動はするが、特に浩三は、小説家といったり大富豪といったり、どうも書いているうちに設定が変わったのではないかと思う。もともと本作は既存の短編を長編化したものなので、どこがどう変わったのか、元の短編と比較するのもおもしろいかもしれない。