夏樹静子『Wの悲劇』

2022-05-02

1982年の推理小説。夏樹静子の代表作。脚本家の卵で英文科を出た一条春生は、教え子の和辻摩子の卒論を手伝うため、冬の山中湖畔にある和辻家の別荘を訪れる。

和辻家は和辻製薬の創業一族で大富豪。摩子に案内された春生は、和辻家の当主・和辻与兵衛とその妻みね、与兵衛夫婦の姪で摩子の母親の淑枝、その夫で分子生物学者の和辻道彦、与兵衛の弟の和辻繁、摩子の親戚で与兵衛の側近社員の和辻卓夫、与兵衛の主治医で外科医の間崎鐘平らに紹介される。

和辻与兵衛と和辻繁兄弟は温厚な紳士だったが、二人とも女好きの初老の老人だった。摩子は家族の誰からも愛されており、特に母親の淑枝は摩子を溺愛している。道彦も摩子には優しく接しているが、淑枝の三番目の夫で、摩子との血のつながりはない。今まで男運の悪かった淑枝は、この年下の夫も熱愛していた。

和辻卓夫は中背の利口そうな男だが、野心家で、摩子は内心卓夫を嫌っているらしい。間崎鐘平は大柄で野性味のある外科医だが、30歳そこそこで和辻与兵衛の主治医を勤めており、目元もどことなく和辻与兵衛や和辻繁と似ている。

雪の降る中、春生は和辻家の人々と晩餐を共にする。別荘の使用人たちが帰宅した後、和辻家の男たちは鐘平とポーカーに興じ、与兵衛は自室へ引き上げる。春生も来客用の寝室で摩子の卒論の草稿に目を通し、その間摩子は自室で卒論の続きを書いていた。深夜11時ごろ、突然摩子が居間に血染めのナイフを持って現れ、「私、おじいさまを殺してしまった!」と絶叫する。

驚いた和辻家の人々が与兵衛の部屋に駆け付けると、普段着姿の与兵衛がベッドの脇で倒れており、心臓を刺されて絶命していた。摩子に訳を聞くと、摩子は与兵衛の部屋に呼ばれ、与兵衛に犯されそうになったため、無我夢中でベッド脇のテーブルにあった果物ナイフをとり、与兵衛を刺し殺してしまったのだという。

摩子の行為は正当防衛に当たるが、元々与兵衛の女好きには妻のみねも手を焼いており、スキャンダルを恐れたみねは真相を隠すべきだと主張する。摩子を守るため、和辻家の人々は、与兵衛は強盗に刺し殺されたことにしようとする。

近所のピザ屋にピザの出前を頼んでピザ屋を証人に仕立て上げ、出前の時間までは与兵衛がまだ生きていたように見せかける。鐘平が提案し、医療用のチューブを使って与兵衛の胃の中にペースト状にしたピザを注入し、与兵衛の遺体をベランダに出しておいて死後硬直を遅らせ、与兵衛は深夜1時ごろに殺されたように偽装する。卓夫が長靴を履いて雪の中に足跡をつけ、電話線を切断して、強盗が電話線を切ったため通報が遅れたことにする。

翌朝、警察へ通報が届き、地元警察署の中里警部と部下の刑事たちが捜索に訪れる。切れ者で知られていた中里警部は、卓夫の指についていた白い粉や、雪の中の不自然な足跡などから、事件が内部の者の犯行であり、強盗は偽装であることをあっさりと見破ってしまう。

一方、行き掛かり上やむなく偽装を手伝わされた春生も、与兵衛の遺体を偽装した当夜、不思議な物音を耳にしていた。その後、深夜にベランダを見上げる鐘平を目撃する春生。そしてついに摩子は真犯人として逮捕される。

摩子は連行の間際、春生にだけ「おじいさまは、私にとってはいい方だったのです」とひそかに打ち明ける。自分を犯そうとした男をなぜ「いい人」と形容するのか。考え抜いた挙句、春生は一つの結論に行き当たる。

〈ネタバレ・感想〉

富士山や山中湖、和辻家の別荘の情景の描写が長くて、ちょっとダレました。別荘の屋根の上の避雷針?についているブルーのライトまで細かく描写していて、中盤以降は描写部分はほとんどすっ飛ばして読んでいった。それでも話の筋を追うには問題なかったですね。

チューブを使った胃の内容物のトリックは、巻末のエラリー・クイーン(フレデリック・ダネイ)の解説でもべた褒めしていたが、はたしてどうなのか。関係者に医者がいるのでコイツが臭いということになりそうな気もするが。

真・真犯人は、摩子が真犯人でないとすると、摩子がかばうのは実の母親である淑枝をおいて他にない。だが、摩子を溺愛する淑枝が摩子を身代わりにするのはあまりに不自然で、淑枝がそうまでするのは、真犯人が道彦だからと考えざるを得ない。簡単な消去法だが、そう思って読んでいくとやっぱり真犯人は道彦だったので、いささか拍子抜けしてしまった。

道彦は自分の研究のため多額の金を必要としており、与兵衛の遺産を淑枝に相続させようと目論んでいた。そこでまず与兵衛を刺殺し、淑枝に打ち明けて摩子を身代わりに立てるよう提案する。誰からも愛されている摩子をかばうため、和辻家の人々は偽装工作するに違いない、と淑枝を説得したのだった。

だが、道彦が与兵衛を殺したという証拠はない。そこで春生は「私は証拠をつかんでいる」と道彦を脅迫しておびき出し、しっぽをつかもうとする。ところが道彦は「証拠をつかんでいるなら警察に届ければいいだけのことで、わざわざおびき出したのは証拠がないからだ」と言って春生を殺そうとする。

で、鐘平がベストタイミングで木の陰から飛び出して道彦をたたきのめし、春生は中里警部に保護されるのだが、ここらへんはいかにも80年代~90年代のサスペンスドラマという感じでしたね。片平なぎさと船越英一郎で何べんこういうシーンを見たことか。

どうにも理解できなかったのは、「証拠はないんだろう」と言いながら道彦が春生を殺そうとしたこと。証拠がないなら春生なんかほっとけばいいと思うんですが… 証拠がないので真犯人をだましておびき出して…というのも2時間ドラマにお決まりのパターンでしたね。

それに春生は中里警部とだけ打ち合わせていたのに、なぜ鐘平が飛び出して春生を守ったのか、その説明もなかったような… 鐘平は春生が好きで、実はこっそり後をつけて見守っていたからだ、ということのようですが。鐘平が実は与兵衛の隠し子というのも「やっぱりな」で、それは作品中でも濃厚に匂わせてはいたが、これまたサスペンスもののよくある…以下同文ですね。

2時間ものの推理ドラマに影響した推理小説といえばなんといっても松本清張の『ゼロの焦点』だが、この『Wの悲劇』も大きく影響した作品なのだろう。身代わりの身代わりを立てさせるというトリックはまあまあおもしろいという感じだったが、推理が展開するのはストーリーの半ば過ぎからで、前半は和辻家の稚拙な偽装工作とそれがあっさりバレるまでを延々と追っているだけなので、読むのは正直苦痛でした。

評価は…どうなんでしょうか。そもそも春生は、必要なキャラなんでしょうか。話としては大幅に改変されているけど、薬師丸ひろ子の映画の方がおもしろいと思いましたが。