横溝正史『壺中美人』

2022-06-06

昭和35年(1960年)に東京文芸社から刊行された中編で、昭和32年に発表された短編『壺の中の女』(「週刊東京」)を改作したもの。年代設定は昭和29年になっている。

名探偵として名声を確立した金田一耕助。今は世田谷区緑ヶ丘の高級アパート・緑ヶ丘荘のフラットに事務所兼自宅を構えているのだが、そこで旧知の等々力警部と白黒テレビを見ていたら、そこで中国人と思しき若い女が「壺中美人」という出し物をやっていた。

前座の扇を使った出し物の後、陶磁器の壺の中に体をくねらせてすっぽりと入っていく女。その様子を等々力警部と見ていた金田一はハッとしてテレビに向かって乗り出す。「どうしたんですか?」と警部に訊かれた金田一は「いや、何も…」と頭を掻くだけだった。

それから数か月後、陶磁器蒐集で著名な画家・井川謙造がアトリエで殺される。画家は中二階の寝室に女をとっかえひっかえ連れ込んでいたのだが、寝室への扉と階段は母屋とは別につくってあり、直接外から寝室へ出入りできるようになっていた。

深夜、異様な物音と気配に目を覚ました家政婦の宮武たけは、寝室下の物置部屋の壺の中に、血まみれのパレットナイフを手にした女が、身体をくねらせて入って行こうとするのを目撃する。たけが思わず叫び声を上げると、女は壺の中から這い出して逃げ去った。

ほぼ同じ時刻、謙造宅近くの街頭で、警邏中の川崎巡査は、全身黒づくめの怪しい女を見つける。自分を見るや逃げ出した女を川崎巡査は追いかけ、抱きすくめて事情を訊こうとする。その際誤って女の胸をつかんでしまった川崎巡査は、女に非礼を詫びるが、女はナイフで川崎巡査の脇腹をえぐって重傷を負わせ、遁走する。

謙造には離婚調停中の妻・マリ子がおり、マリ子は犯行時刻には都内のアパートでボクサー上がりの男・譲治と一夜を過ごしていた。謙造は新潟の資産家の次男で都内に地所をいくつも所有しており、謙造の兄・虎之助は、マリ子と謙造の婚姻は無効だと申し立てていた。また宮武たけには息子の敬一がおり、今は呉服問屋に勤めているが、以前は謙造の世話を受けていたという。

宮武たけの証言から、警察は壺中美人を演じる中国人・楊華嬢が犯人とにらむ。華嬢の養父・楊祭典も胡散臭い男だが、事件当夜にはアリバイがあった。祭典の話では、謙造は祭典に懇願してあの壺を譲り受けたのだという。一方、華嬢の行方は杳として知れない。

〈ネタバレ・感想〉

緑ヶ丘荘は『迷宮の扉』でも出てきた金田一耕助の事務所兼自宅で、昭和29年当時に白黒ながらテレビも持っているという金田一耕助は、独身ながらなかなか優雅な生活を送っている。当時売れっ子の作家だった横溝正史も、当時は珍しかったテレビを早速買い込んだのだろう。今なら300万ぐらいの高級品である。

トリックは、もちろん楊華嬢は犯人ではなく、犯人に仕立て上げられてとっくの昔に殺されていた。真犯人はマリ子で、おつむの弱い譲治に酒を飲ませて眠らせ、深夜一時ごろのアリバイをつくっておくという他愛のないもの。入れ知恵をして協力したのは楊祭典で、マリ子に逃走用の車を用意した。

犯人を華嬢に見せかけるため、マリ子はチャイナ服を着てわざわざ壺の中に入ろうとする演技をするが、宮武たけはあっさりそれがマリ子であることを見破ってしまう。しかしたけはマリ子の弱みを握っておいた方が得だと考え、口をつぐんでいたのだった。

逃走したマリ子がなぜ川崎巡査を殺そうとしたか。それは川崎巡査に胸を触られたからで、犯人が女であることを気付かせてしまったから。すなわち楊華嬢は実は男で、宮武たけの息子・敬一もかつては謙造と同性愛関係にあった。

…というのだが、華嬢が男であることを知るものはほとんどおらず、警察も金田一の指摘を受けるまでは気付かなかった。それならマリ子が川崎巡査を殺そうとする動機もきわめて弱いものになる。むしろ犯人は女と思わせた方が好都合ではないか。

それにマリ子がチャイナ服を着て壺の中に入ろうとする芝居も意味不明で、華嬢に見せかけるにしても、殺人を犯した者が壺の中に逃げ込もうとするのはあまりに子供じみている。宮武たけでなくともすぐに別人だとわかるでしょう。

楊祭典が車を用意したことも、別の車種が謙造宅近くの路上に停めてあったことを目撃されてしまうので、簡単にバレてしまう。宮武たけのいる母屋から謙造の寝室へは出入りできなかったのだから、マリ子は誰にも気づかれないように寝室に忍び込んで謙造を殺せばいいだけの話である。

別人を犯人に仕立て上げて早々と殺してしまうというのは『夜の黒豹』と同じトリックだが、その別人が実は女ではなく男だった、というのが本作の特徴になっている。しかしこの特徴、別になくてもいいような「特徴」である。

どうも話がややこしい割にはトリックが稚拙で、謙造の自宅の間取りの説明もわかりにくい。せめて図面でもつけてくれたらと思う。

推理(というか探偵)小説としては残念な作品なのだが、杉本一文氏の毒々しい表紙と、同性愛を扱ったきわどい話が魅力と言えば魅力になっている。横溝正史には美少年趣味もあったそうで、江戸川乱歩と一緒にかわいい男の子をわざわざ見に行くこともあったとか。それ系の人は読んでおく価値ありでしょう。