横溝正史『スペードの女王』

2022-06-13

昭和35年(1960年)の刊行で、昭和33年の短編「ハートのクイン」を改作長編化したもの。

「堀亀」と呼ばれた稀代の彫り物師・坂口亀三郎の妻・キク女が金田一耕助の事務所を訪ねてきた。堀亀はすでに自動車事故で死亡していたのだが、その死に不審な点があるという。堀亀は亡くなる数か月前、ある女に依頼されて、顔を隠した女の内股に「スペードの女王」の入れ墨をしたという。

やがて片瀬の海に首のない女の死体が上がる。死体の内股には「スペードの女王」の刺青があった。警察は、麻薬王の岩永久蔵の愛人であり、ナイトクラブ「X・Y・Z」の経営者だった神崎五百子の死体とにらむが、等々力警部は金田一の話を聞き、死体は五百子の身代わりであり、本物の五百子は行方をくらましたのではないかと憶測する。

そして東京へ戻った金田一と等々力警部らは、岩永久蔵が「X・Y・Z」の五百子の寝室で絞殺されたと聞き、現場へ急行。ガレージに停めてあった岩永の車のトランクからは、前田浜子という女性の死体も発見される。前田浜子はペンギン書房という雑誌社のやり手記者で、金田一に依頼をしようと事務所に電話をかけていた女性だというのだが…

〈ネタバレ・感想〉

横溝正史が再三再四挑戦した「顔のない死体」のトリックであり、海で上がった死体は、神崎五百子と前田浜子の姉・豊子のどちらなのか?がポイント。

実は五百子で、五百子は身代わりにしようと豊子を事件に引きずり込んだのだが、共犯者の伊丹辰男に裏切られて逆に殺される。岩永が秘蔵していた五百子のヌード写真から、死体が五百子のものであることが判明する。

では豊子はどこにいるのか? 最終盤まで豊子は登場しないし、妹の浜子の手紙からも豊子はおつむの弱い甘ちゃん女性であることがうかがわれるので、五百子とすり替わっているようにも思えない。

豊子を殺したのも伊丹で、伊丹は豊子をそそのかし、内股の「スペードの女王」の刺青と五百子のトレードマークだった指輪を使えば、暗黒街にも素顔の知られていない五百子とすり替わるのは容易だと持ち掛けていた。その気になった豊子は伊丹に協力するが、伊丹に殺されて寺の墓地に埋められていたのだった。

つまり、被害者と入れ替わろうとした人間が、加害者になる前に共犯者に殺されてしまうというもので、死体は「加害者か、被害者か」で言えば、「どちらでもない」が答えとなる。「顔のない死体」の二者択一のパターンにあえて風穴を開けようとした作品と言えますね。

とはいえ、個人的には読後感はいまいちで、読んでいてもう半分ぐらいから「そうだろうなあ」と。死体はやっぱり五百子で、豊子もどこかで殺されているんでしょうと。

最初は岩永の秘書の谷口が怪しいと思ったが、谷口には鉄壁のアリバイがある。岩永の車を動かすとき、谷口と事件とは無関係なホステス、そして伊丹がいたというのだから、車に前田浜子の死体を隠せるのは伊丹しかいない。だから黒幕は伊丹なんだろうなと。

おそらく横溝も割合簡単に犯人がわかってしまうことは意識していたはずで、そこで最後にどんでん返しを用意して、伊丹の正体を「意外な」人物にしている。しかしそれも金田一が「前田浜子がこうも簡単に殺されてしまうなんて…犯人は浜子のごく身近にいる人物に違いない」と丁寧なヒントを与えてくれるので、簡単にわかると思いますよ。

読み終わって、横溝の魅力は何といっても「岡山もの」だと改めて感じました。東京や神奈川県?の片瀬とかが舞台で、チャラけたホステスや暗黒街のボスとかが出てくると、往年の大映映画のギャングものみたいで陳腐なんですよね。

その点「岡山もの」だと、たとえ犯人が簡単にわかってしまったとしても、舞台設定や登場人物のキャラで楽しめる。金田一作品は70以上もあるというのに「岡山もの」は十数作しかない。残りの大半は東京を舞台にしていて、内容も本作のような都会的な犯罪を扱っている。

まあでもですね、横溝の苦心の跡はいろいろうかがえる作品で、「顔のない死体」という古典的なトリックに果敢に挑んだ本作は、その点では評価できると思う。もう一つの謎解きは、堀亀がひそかに仕込んだという、五百子と豊子の「スペードの女王」はどこが違うのかという問題もあるが、これはラストでわかることになっている。