『松田聖子と中森明菜 一九八〇年代の革命』

2024-04-28

2007年の幻冬舎新書版を増補した2015年の朝日文庫版。タイトルは「松田聖子と中森明菜 一九八〇年代の革命」とあるのだが、著者の中川右介氏は何をもって「革命」と言っているのか。

中川氏は「松田聖子と中森明菜の両方のファンで、二人のデビュー当時から両方のレコードを買ってきた」と言うのだが、松田聖子の記述と中森明菜のそれは5:1ぐらいな感じ。おまけに前半は「二人の先駆者」たる山口百恵の記述もかなり多くて、松田聖子の記述も中身は「松本隆論」がかなりの割合を占めている。ちょいとタイトルに偽りありかなあ…まあ、おもしろかったですが。

最近、文化論とかではちょっとブームなような気もする「1980年代」。80年代を代表する文化と言えば「アイドル」「アニメ」「マンガ」「ゲーム」でしょうか。あとトレンディードラマとかもありましたが、これはもう石田純一の記憶とともに死語になってる感じ。なんだかいかにも軽い時代だったんだなあ~と思う。

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80年代と言うと、とにかくポップなイメージ。その点では松田聖子はまさしく80年代を代表する歌手の一人だったと思います。「何の憂いもない」という感じの曲がこの人はすごく多い。

この本によると松田聖子はニュースとかにもまるで無関心で、新聞も読まないし、何か世の中に大事件が起こってもその「二日後」に知るのだとか。この徹底的に社会や政治に無関心な態度がいかにも80年代の若者という感じがする。

著者によると、松本隆は実質的なプロデューサーとして松任谷由実に曲をつくらせ、「意味のない」言葉を羅列した松田聖子の曲の歌詞をつくり続けたのだという。そういう何の問いかけもない歌で日本社会を制覇したのが「1980年代の革命」なのだと。

「松田聖子自身はそんな松本隆の『思想』など、どうでもよかった」という指摘も、まあそうだろうなと。松田聖子はとても頭はいいのだろうけど、およそ哲学的には見えない人だし。むしろ実利主義的な人かなと。

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その「革命」を受け継いだのが中森明菜なのだ、という論旨はこれまたウルトラに強引な理屈で、まあ著者は別に学術論文を書こうとしたわけではなく、遊びで学術っぽい本を書いただけなのかなと。構造主義とかサルトルとかそれらしい言葉を散りばめて「なんちゃって学術」をしてみせて、実はこの本にもほとんど「意味」はないのかなと。

著者は作詞家として松本隆を崇拝しているぐらいに評価しているようですが、対して中森明菜の初期の「ツッパリ路線」の歌詞を手掛けた売野雅勇については、「コピーライター出身だから言葉のセンスはあるが、松本隆と違って、スタッフのコンセプト通りに歌詞をつくるだけ。スタッフをある意味裏切って、突き抜けることができない」となかなか手厳しい評価をしている。

売野さんの歌詞は私は結構好きなのだが、確かに言われてみるとそうかなあと。「ツッパリ路線で『少女A』を!」と言われて、その通りに作りましたと。職人的な作詞家で、「思想」なんてのはあまりないのかもしれない。

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中森明菜についてもいろいろ書いてあるが、要約すると「週刊誌にたたかれながらも、孤独に、健気に歌っていた」ぐらいのことしか書かれていない。中森明菜が松田聖子と並んで80年代を代表する歌手になれたのは、なぜなのか。そこらへんはこの本ではいまいちよくわからなかった。著者もそこまではあまり考えていなかったのかな。本の後半は「ザ・ベストテン」のランキング発表の羅列になっていて、ちょっとダレました。

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