レコード芸術の休刊・復刊?

音楽

2024-05-06

レコード芸術が休刊していたのが、それが一転ファンの声でクラウドファンディングで復刊を目指すとか。毎日新聞に片山杜秀が「クラシックの危機」とか「巨匠不在の時代」などと書いているのだが、私なぞはレコ芸が休刊したことすら知らなかったですね。

片山さんの言わんとするところ、かつてクラシックは「教養」として受容された、レコ芸は名盤を推薦する「権威」だった、それが今や視聴者は高齢者ばかりになった、等々。でも、そういう「教養」とか「権威」とか上から目線の態度で言ってるから、日本のクラシック受容は衰退したんじゃないかな。

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「レコ芸」は「音楽の友」と並んでクラシック愛好家たち向けの雑誌だったけど、昔から強固な「巨匠主義」。フルトヴェングラーやブルーノ・ワルターなど、白黒写真の戦前から名をはせた巨匠たちを最高位に据えていて、その中ではカラヤンなんか映画スターもどきの色物扱いだった。そういう戦前からの「ドイツ的教養主義」を色濃く受け継いだのがレコ芸だったと思う。

レコ芸の評論家たちも宇野巧芳、黒田恭一といった面々が何十年も名前を連ねていて、ときどき別冊ムックなんかで「最高の名曲・名盤」とか銘打って名盤推薦リストをつくるのだが、評論家たちが替わらないから同じ録音ばかり「名盤」として挙がり続けていた。

こんなんだから、若い演奏家が出てきて何か目新しいことをやろうとしても、なかなか認めない。だいぶ前に宇野巧芳だったと思うけど、テミルカーノフがムラヴィンスキーのやり方を受け継いでないとかいろいろ批判していて、その超保守的な体質にはさすがに嫌気がさしてしまった。

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こういう「評論家たち」の頂点に君臨していたのが、文化勲章ももらった吉田秀和氏。かつての旧制高校的教養主義を身につけた人で、日本では1970年代に衰退したはずの教養主義が、こうやってクラシックの中だけで生き残ってきたのだと思う。

昭和40年代にクラシックファンになった、当時は「若い」世代の愛好家たちが、今はそのまま高齢者になっていて、後の世代が続いていない。たまにクラシックのコンサートに行ってもおじいさんばかりで、やっぱり気を遣う。

CD買いに行ってもクラシックコーナーはもちろんおじいさんばかりで、棚の上にはこれまた巨匠たちの白黒写真が並んでいる。これでは若い人たちは近寄りがたいだろうし、サブスクとかレコチョクで買った方が気楽だと思う。でも、確か岡田暁生氏が「イヤホンでクラシック聴くなんて信じられない!」と書いていた。

こういう風に、クラシックの視聴には「作法」があって、「知識」が必要。要は娯楽じゃなくて「教養」で、先生について習うようなもの。その「教科書」だったのがレコ芸で、女子にとってのお茶やお花みたいに、クラシック音楽は男子インテリ階級の習い事だったのだろう。レコ芸の休刊は、そんな時代が終わったことを意味するんでしょうね。

なくなってしまうとやっぱり寂しい、で、復刊するならすればいいと思うのだけど、そういうノスタルジーだけで復刊する意味はあるのかとも思う。そもそも現代におけるクラシック、21世紀の日本で、ベートーヴェンやブラームスを楽しむとは、どういうことなのか。それがはっきりしなければ、本当の意味での「復刊」ではないのでは。

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